初心者のためのジャズ入門 Introduction to JAZZ for Beginners

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初心者のためのジャズ入門 Introduction to JAZZ for Beginners

ニューオリンズ、シカゴ 1900年~1938年

ジャズ初心者イメージ1900年の初めごろピアノ演奏のラグタイム(代表曲としてスコット・ジョプリンのジ・エンターテイナー)など各地の歓楽街で演奏されていた音楽の内、特にニューオリンズにおいて、クレオールと呼ばれるフランス系の人々とアフリカ系の人々の交流により生まれたものがジャズの始まりとされている。 そのニューオリンズで生まれた音楽が、歓楽街の衰退とともに他の地方に流れ、特にシカゴに流れたものがシカゴジャズとして繁栄するに至った。

丁度レコードの普及とシンクロするようにジャズ界初のビッグネームとしてトランペット&ボーカルの「ルイ・アームストロング」は知られるようになり、彼の出現によってジャズは華々しい黎明期を迎えた。

ジョシュア・リフキン

「ジ・エンターテイナー~ジョプリン / ピアノ・ラグ集 」

映画やテレビなどでいまだに頻繁に使われる有名曲「ジ・エンターテイナー」。ジャズの元祖、ラグタイムの作曲家&ピアノの代表スコット・ジョプリンの曲集。今日の耳で聴いても、古くても良いものとしてジャズ史に残る名品。

ルイ・アームストロング

「ルイ・アームストロング・タウンホールコンサート」

実際にはどうあれ、この演奏を聴けばニューオリンズが楽園に思えるほど、賑やかで楽しい名演ぞろいのルイ・アームストロングの代表作。演奏や歌の合間のルイの笑い声が、聴いているこちらの笑顔を誘う。

ハリウッド、ニューヨーク、スイング 1938年~1949年

歓楽街のBGMとして発達したジャズが、経済の高度成長やダンス文化の爆発的なブームにより、踊るための音楽へと変化していく。

その代表的な音楽が「スイング」。ゴージャスなサウンドと大勢のメンバーによって盛んにボールルームと呼ばれるダンスホールで演奏され、スイングは隆盛を迎える。

ジャズの中心はシカゴやカンザスシティからメンバーが西の映画の都ハリウッドや東の最大の歓楽街ニューヨークにどんどん流れ、それぞれ活発に活動するに至る。

特にニューヨークは、優れたジャズメンが集まり、ビッグバンドジャズのスイング全盛期を迎える。代表的なものにグレン・ミラー楽団とデューク・エリントン楽団が上げられる。

グレン・ミラー

「ヴェリイ・ベスト・オブ・グレン・ミラー」

「僕はジャズバンドを持ちたいとは思わない」と言ったとされるトロンボーン&作曲のグレン・ミラーの最大の功績は、アドリブに偏らずにそれすらも譜面に残した事。それによって、今でも、魅力的なミラーサウンドが世界中で奏でられている。

デューク・エリントン

「A列車で行こう」

音楽が好きで、女性が好きだったニューヨークのボス、ピアノ&作曲のデューク・エリントン。メンバーの顔を思い浮かべて作曲したと言う彼の楽団は、メンバー交代の激しいジャズ界において、主要メンバーが30年以上ほとんど変わらなかったという異色のバンドでもある。実は、デュークが一番好きだったのは、女性に限らず「人間」だったのかもしれない。

ビ・バップ~ハードバップ 1949年~1961年

カンザスシティよりニューヨークに出てきたチャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーとの歴史の必然の出会いによって生まれた「ビ・バップ」によりジャンルとしての「モダンジャズ」の幕開けとなる。

ここにきてニューヨークが決定的にジャズの中心となり、ジャズは、踊るためのものから聴くための音楽となり、さらには演奏する側のためという傾向が増して行くことになる。

ビ・バップより派生した「ハード・バップ」により、ジャズのアドリブを中心とした芸術音楽と言う特色は絶頂期に至る。

チャーリー・パーカー&ディジー・ガレスピー

「バード&ディズ」

若い頃二人が共に在籍していたのがピアニスト、アール・ハインズの楽団。アールは言う「チャーリー(アルトサックスのチャーリー・パーカー)とディジー(トランペットのディジー・ガレスピー)のアドリブは、みんなが瞬間的に閃いてたものだと言うが、それは違う。あいつら二人は、一緒になって同じフレーズを繰り返し、熱心に練習していたよ。そのへんてこなフレーズがビバップフレーズさ。チャーリーのアドリブはその練習したフレーズを吹いているだけなんだよ。」無茶苦茶な二人に見えますが、実は周りがあきれるほど練習の虫だったのは事実。ここでは晩年の再会セッションの名演を聴く事が出来る。

ソニー・ロリンズ

「サキソフォン・コロッサス」

1曲目「セント・トーマス」。カリプソのテーマの楽しい雰囲気から繰り広げられるソニーのアドリブソロは、モダンジャズが到達したアドリブ芸術の極みと言えるもの。彼の特徴のウネウネとした長いフレージングが意のままに上下し、ドラムソロの後は、ピアノにソロを渡すまで一気に息もつかせないほどの緊張感が疾走する。途中、メンバーの一人が感極まって「オー」と声を上げるほどの迫力。名演中の名演。

アート・ブレイキー

「モーニン」

有名なピアノが印象的なテーマ、「モーニン」。掛けあいで進行するコールアンドレスポンス形式のテーマは、ゴスペルを思わせる荘厳さを持ち合わせているが、テーマ後のソロのトランペット、リー・モーガンはあっと言わせるソロの展開で曲の可能性を広げる。天才リーの粋が秀逸。ソロの順番が、名演を生んだ好例。

モード~フリー 1961年~1974年

1960年代に入るとややマンネリに陥っていたハードバップに対して、ミュージシャンが新しい音楽として脱皮を図る中、新しい流れとして生まれたのが、トランペット奏者マイルス・デイヴィスによる「カインド・オブ・ブルー」の「モード」だった。

「ビ・バップ」以降、細分化していく一方だったコード進行を、シンプルに大きな流れで捉えようとする「モード」は、それまでの定型に陥っていたアドリブのフレージングにより自由を与え、新しい可能性をミュージシャンとリスナーに与えた。

そのマイルスのメンバーの一人、テナーサックスのジョン・コルトレーンによってモードも全盛期を迎える。

ジャズシーンに多大な影響を与えたモードとコルトレーンだったが、そのコルトレーンは他人の追随を待たずして当時急速に知られるようになってきた前衛音楽の「フリー」に身を投じる。

フリーはアルトサックス奏者「オーネット・コールマン」により提唱された、ニューシングと呼ばれたアバンギャルドな音楽。文字通り、コード進行からもリズムからも解放されたフリーで抽象的な前衛音楽だった。

フリーが及ぼした影響は少ないものではないが、しかし、今日の目で見ると、ジャズにおける芸術表現の新天地と思われたフリーも、結局は出口のない袋小路のようなもので、良きにつけ悪しきにつけ、コルトレーンと言う絶大なる影響力を持つ最大の理解者を得て、結果としてジャズシーンを突き進む事になる。

マイルス・デイヴィス

「カインド・オブ・ブルー」

1曲目「ソー・ホワット」から終曲の「フラメンコ・スケッチ」まで一貫した抑制されたインテリジェンスを感じる名演。それでいて、アドリブはより高温な青い炎のような熱気を帯びるところが聴きどころ。「モード」ジャズはこれによって、メインストリームの中心となって行く。

ジョン・コルトレーン

「至上の愛」

ジョン・コルトレーンの最高傑作との呼び名が高い名盤。途中で入る「ア・ラブ・サプリーム」という声は賛否両論だが、「聖者になりたい」と言ったとされるコルトレーンの考えるここでの至上の愛が、男女の愛でないことは確か。「バラード」や「ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン」といった粋な恋のアルバムの最高峰を作ったコルトレーンの、それとは双璧をなす真摯な神への愛の賛歌。

オーネット・コールマン

「フリージャズ」

一聴何事が起きたのかと驚くアルバム。左側のチャンネルにはアルトサックスのオーネットのカルテット、右側のチャンネルにはアルトサックス&バスクラリネットのエリック・ドルフィーとトランペットのフレディ・ハバードのカルテットがお互いを意識しながらフリーなジャズを表出する仕掛け。当時流行になりつつあったフリーには、コルトレーンのように多大なる可能性を感じたミュージシャンも相当数いるが、歴史が証明するように、結果としてジャズが袋小路にはまったのも事実。今となっては、むしろ面白い歴史的問題作。

フュージョン~スムース・ジャズ 1974年~1992年

ジャズがフリーで行き詰まり、身動きが取れなくなってしまっている間に、ペンタトニック(5音階)やコードの流れを大きく捉える考え方が、シンクロしたのかモードへのロックシーンからの熱烈なラブコールにこたえる形で、まずマイルスが「ビッチェズ・ブリュー」で呼応し、フリーで溺れたジャズをまたミュージックシーンの一線に引っ張り上げる。

その後に新しいジャズ界のホープとして自然回帰の傾向の強いバンド「ウェザーリポート」の登場によりジャズは新たなる方向性を発見するに至る。

また、ポピュラーミュージックとの融合が図られたのもこの時期で、スタジオミュージシャンとしても幅広く活躍したアルトサックス奏者のデヴィッド・サンボーンなどが、R&Bやファンク系の切れの良いフュージョンを展開し、同じくサックス奏者のグローバー・ワシントンJRらによりソフトなムードのスムースジャズへと繋がるフュージョンが一世を風靡する事になる。

ウェザー・リポート

「エイト・サーティ」

トータルなサウンド作りに定評のあるジャズ&フュージョンバンドのウェザー・リポートのライブ。ライブなだけに、いつもと違いアドリブのパートも多く、より従来のジャズを感じさせる演奏になっている。彼らの根底に流れるものがジャズだと言う事がはっきりわかる硬派なフュージョンを代表する好盤。

デヴィッド・サンボーン

「カジノ・ライツ」

ホーンセクションのセッションマンとしても多忙な毎日を送っていたアルトサックス奏者デヴィッド・サンボーンのゲスト参加ではあるが会心の1981年のモントルージャズフェスティバルでのライブ盤。 サンボーンの他にもボーカルのアル・ジャロウやランディ・クロフォード、ギターのラリー・カールトンやベースのマーカス・ミラー、バンドのイエロージャケッツなど、この頃のフュージョンがいかに生きの良い音楽だったかが分かる好盤。

グローヴァー・ワシントンJR

「ジャスト・ア・トゥー・オブ・アス」

ポピュラーシーンでも売上を伸ばし、ジャズがコマーシャルな成功をおさめる事が出来る事を示した人気盤。後のスムースジャズの流れを作った歴史的な1枚。中でも表題曲「ジャスト・ア・トゥー・オブ・アス」は1981年の全米ポップスチャートで2位を取り、グラミー賞も受賞したほどのヒットを記録。

~現在 1992年~現在

フュージョンより派生したスムース・ジャズが誕生するなど、ジャズも最大のコマーシャルな成功を納める中で、さらに多様化していく。

代表的なものとして、ジャズを一般に広めたサックス奏者ケニーGに代表されるスムース・ジャズ派、フュージョン時代を身を持って通過して、ここにきてメインストリームに戻ってきた世代であるピアニストのキース・ジャレットやチック・コリアらのメインストリーム回帰派や、ジャズの本来持っているアドリブ中心の即興音楽と言う傾向を新しい感覚で推し進めたトランペットのウィントンやサックスのブランフォードのマルサリス兄弟に代表される新メインストリーム派、などに別れ、益々活気を帯びてきている。

また、ポピュラーな音楽として認知されるとともに、ジャズは世界中からそれぞれの特色を生かした音楽としての広がりも見せている。 ここにきて、ジャズイコールアメリカの音楽という図式だけでは測れないほどワールドワイドな視点が求められてきている。今後どのようなジャズが生まれてくるのかが楽しみな現在となっている。

ケニーG

「ブレスレス」

「スムース・ジャズ」の第一人者ソプラノサックスのケニーGによる、代表作。2曲目に収録された「フォーエヴァー・イン・ラヴ」は全米2位の大ヒットによりグラミー賞を受賞した。アドリブが主体のジャズの流れにおいてスムース・ジャズは、特にテーマに主体を置いたもの。よりポップスやイージーリスニングに近いサウンドだが、ジャズから派生したものだと言う事は言える。

キース・ジャレット

「枯葉」

オリジナルにこだわったピアニスト、キース・ジャレットがスタンダードを、この時期俄然弾き始め、またそれがはまった1枚。彼の成功により、ベテランジャズメンがスタンダードを再び演奏するようになったと言っても過言ではない。3者の対話は、キースが模範にしたと思われるビル・エヴァンス・トリオの時代よりさらに進んで、過激であり複雑であるにもかかわらず、シンプルに心に響く。渾身のライブ演奏。

ウィントン・マルサリス

「スタンダーズVol.1」

ジャズのみならずクラシックの世界でも活躍するジャズ界のニューカマー、トランペット奏者のウィントン・マルサリスによるおなじみのスタンダード曲集。古くて新しい解釈が話題になった主流派の巻き返しになった1枚。テクニックだけではないスピリッツを感じさせる期待の1枚。

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