スムース・ジャズの帝王 ネルソン・ランジェル

2013年9月

スムース・ジャズの帝王 ネルソン・ランジェルコットンクラブ 東京

ジャズイメージネルソン・ランジェルとは、また随分と懐かしい…最初はそう思った。
まるで、学生の頃のあこがれの人の名前を聞いて、その頃の思い出が一瞬にして頭を占領してしまったかのようだった。

それはまだレコード店が元気だったころ、今から30年前の渋谷のタワーレコードで手にした1枚のレコード。昔、温泉街でのぞき観た金粉ショーを想わせる趣味の悪い女性のヌードジャケット。でも、それは何かそのまま棚に戻すのをためらわせる不思議な力を有していた。

こういう時の勘は、不思議とよく当たる。ジャケットをひっくり返して、パーソネルを見ると…「ほら、当たりだ」…そこには当時最高に気になっていた「マイケル・ブレッカー」の名前があった。マイケルと名がついたものは全て買っていたその時代。この幾分気味の悪いキッチュなジャケットにためらいを感じつつもレジへと持って行った。

家に帰って、ウイスキーを片手に、一人粋がって再度ジャケットを眺めてみる。
半年以上かけても半分しか減っていないホワイトを取り出したのは、子供と大人の中間のやたら勘だけが鋭い時期だっただけに、このレコードには酒が似あうと思ったせいだ。

レコードを取り出しターンテーブルに載せる。そして、聴こえてきた1曲目、アルトサックスが切々と綴る「ラブ・ウィル・コンクワー・オール」。アフロヘアーと下唇が印象的なライオネル・リッチーのラブソング。やり直しを迫るシチュエーションにはあまり理解が出来ないまでも、これが切ない恋を歌ったものだと言う事はよくわかる。

デヴィッド・サンボーンて、やっぱり歌物がうまいよな、などと考えながらジャケットを裏返す。そこに当然あるだろうデイヴィッド・サンボーンの名前を探して。でもそこにサンボーンの名前はどこにも無く、クレジットされていたのが、アルトサックス「ネルソン・ランジェル」。

あーそうか。ジャズメンがレコード会社との契約関係で、他社に吹きこむ時には、すぐにばれる変名を使う事がよくあった。チャーリー・チャン(チャーリー・パーカー)、クール・スヴェンソン(スタン・ゲッツ)などは代表的。だが、それも古き良きモダンジャズの時代の話だ。全てが契約を優先する現代においては、そういったトラブルはミュージシャンにとっては命取りだ。ということは…

「うそだろ、これまるっきりサンボーンじゃん」。そう、聴き手がそうあって欲しいサンボーンの姿がこの曲のアルトサックス奏者「ネルソン・ランジェル」にはあった。

サンボーンフリークなら、いやサンボーンフリークではないのならなおさら、余計にこの時のネルソン・ランジェルにはサンボーンの音そのものを感じてしまう事だろう。本人に聞いてみてはいないが、この時のネルソンは、むしろそっくりである事に誇りを持って嬉々として演奏に臨んでいたのではないか。そう思われるほどに、ここでのネルソンは迷いなく一途にサンボーンに成りきってしまっていた。

それから何年かが過ぎ、私の中でネルソン・ランジェルの名前は、どこかへ押しやられてしまっていた。それが30年も経って、この2013年9月15日の日曜日に、偶然思い出す事になった。

この日は、折からの大型台風18号がいよいよ関東にも上陸すると予報が出され、日曜日だと言うのにどこへ行くあてもなかった私が、それならば逆に表に遊びに行ってやろうと考えた事から始まった。折角だから、普段ならば当日は取れないが、この台風でおそらく地方の人たちからのキャンセルがあるだろうとふんで、ライブ情報を検索した目に飛び込んできたのが、その「ネルソン・ランジェル」だった。

今の時間は夕方の5時、夜の公演には何とか間に合う、迷わず、電話をとった私の目論見通り、席が空いていると言う。そのまま、タクシーに乗って駆け付けたのが、東京駅に近くにある「コットンクラブ」だった。

写真での記憶にあった好青年「ネルソン・ランジェル」よりは相当に白髪になり、落ち着きが出たご本人の登場により、30年の年月など吹き飛ばす熱いライブの幕開けだった。30年前よりこれまた相当に饒舌になったアルトサックスのアドリブやフルートやピッコロの清々しさ、そして特筆すべきは峻厳な霊峰の湧き水のような神々しいまでの清涼感を放つ彼の口笛による演奏。普通なら音程をとる事すらままならない口笛から、音楽的なしかも心にしみるメロディを紡ぎ出すネルソンのウインドの匠ぶりに感じ入った、芳醇な喜びに満ちた一夜だった。

「スムース・ジャズ」なんて言葉が無かったサンボーンフリークの彼を知る身から、互いに30年の時を経て、ネルソンの健在ぶりに我が事のように喜びを感じた。

Members Only & Rangell, Nelson

「Love Will Conquer All」

「Love Will Conquer All」は1986年、元コモドアーズのライオネル・リッチーによる大ヒット。このアルバム「Love Will Conquer All」は、当時のヒットポピュラーチューンをフュージョン風にアレンジしました、といったよくある企画の中でも群を抜く完成度を誇る。メンバーズオンリーというユニットは、実質ネルソン・ランジェルを中心とした新進気鋭のメンバーが、歌のない歌謡曲に挑んだ売れ線ねらいの感があり、正直つらい演奏もあるが、この表題曲でのネルソンの歌いっぷりは見事。当時すでにスタジオではキングだったマイケル・ブレッカーなども参加し、華を添えている。

TRUST HEART

「World Traveler」

この辺りから、ネルソン・ランジェルはサンボーンが若かったのならば当然行ったであろうサウンドの世界を堂々と歩み始めている。それは、本人が意識しているかは分からないが、聴き手が聴きたいサウンドと合致しており、新しさは無くとも、時代を継承した安心感のある境地へと繋がる。子供のジャケット写真も、ヒューマンかつファミリアーなもので、サンボーンの持っていたワルっぽい男臭さとの決別もある意味象徴している。

My American Songbook Vol.1

「Sonora」

今回のライブで、ある意味もっとも印象的だった「口笛」が聴ける「Sonora」に注目。ネルソンはフルートやピッコロも素晴らしいが、ここでの口笛は、まさにウィンド。普通なら、音程をとるこそすらままならないはずの口笛から、哀愁と言う名の風が吹き抜ける様は、ネルソンがセンシティブな感性の持ち主である事を証明するかのよう。爽やかなジャケットからもネルソンの風を感じる秀逸な作品に仕上がっている。

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