演歌の女王ジャズを歌う 八代亜紀「夜のアルバムライブ」ゲスト日野皓正渋谷シアターオーブ
3月22日の金曜日、ニューヨークデビューの直前に渋谷のヒカリエにある東急シアターオーブでようやく八代を観る事が出来た。鳴り物入りでCDを発表し、ブルーノートでは立ち見も出たほどの大盛況。ジャズ界でも拍手喝さいを浴びたかに思われる演歌の女王の八代亜紀が、どのようにジャズを聴かせてくれるのか、興味津津のコンサートだった。
さすがに歌謡界の大御所の八代にかかっては、約2,000人の会場はほぼ満席。結果的にはニューヨーク行きを控えて、前哨戦ともいえるコンサートで、八代は絶好調の歌声を聴かせてくれた。そして、ある意味予測のついた八代の歌唱だったが、なによりもサプライズだったのがゲスト出演のトランペット奏者の日野皓正だった。
ニューヨークに備えての練習もあったのか、アレンジがしっかりした伴奏陣は安心して聴く事が出来るが、裏を返すとそれだけにややスリルに欠け、ややもするとただの「伴奏」になってしまう。歌謡曲ではOKな伴奏も、ジャズという場では、NG。
そんな場面をひっくり返したのが、御歳71歳にならんとするそのニューヨーク在住の日野皓正だった。
日野のすごみは、彼が出てきただけでバンドの音がそれとわかるように変わった事でも明らか。一気に躍動感が出て、リズムにうねりとスイングが生まれ、何よりもそれまで表情を変えずに演奏していたミュージシャンに熱気と笑顔が浮かんでくるほど。
その時日野が吹いたのが、チャーリー・チャップリンの1936年の映画「モダン・タイムス」のためにチャップリン自らが作曲した「スマイル」。自身のアルバム「ブルー・スマイルズ」よりのナンバーだが、日野はこの曲を練習の時に何気なく吹くことが多いという。
体に染みついたメロディは、自然なメリハリを持って、バラバラになりがちな伴奏陣の音世界を一つに絡みとってしまう接着剤の様に、バンドの音を吸着しまとめていく。日野が絡んだ途端に、バンドは生き返りスイングし始めた。そのボンドのようなトランペットの音は、とても71歳のミュージシャンのものとは思えないほど、生き生きと若々しい生命力にあふれたもの。
さらに驚かされるのは、日野皓正というジャズミュージシャンが、いまだに身にまとわせている「男臭さ」。言葉を変えれば男としての色気だ。黒の衣装に身を包んだ日野の姿は、何年も前から歳を重ねる事を忘れてしまったかのようだ。
その色気が、日野の音に力を加え、このような大きなホールにもかかわらず、10列目にいた私の頬を叩き、音圧で圧倒するのだ。この日野のほとばしり出るホーンの音圧こそ、本場ニューヨークで生き抜いてきた証でもある。
1942年生まれの日野は、御歳71歳。世間一般では古希のお祝いをする年代だ。男がジャズに生きるには、いつまでも楽器に精進する心構えと、そして男としての艶やかさが必須だと再確認した瞬間だった。
また、それは八代にも当てはまり、演歌の本質が男と女を歌うものならば、そこでは八代の女としての魅力がそのまま歌唱の良しあしにつながる。ジャズヴォーカルもまた恋を歌ったものがほとんど。そういう意味で、この広いシアターオーブの舞台に立った、今なお旬の男と女の匂いに魅了された一夜だった。
八代亜紀 夜のアルバム
「五木の子守唄~いそしぎ」
この2曲が似ているという理由で、メドレー形式にしたとMCで八代が言っていた。確かに似ているかもしれないが、ここではそんなことよりも、八代のやや背伸びした英語の歌詞が続く中、ここぞで十八番の演歌、つまりは日本語が来るとホッとする仕組みになっている。大スタンダードの枯葉も日本語で歌っており、もしかしたら多くのジャズの曲やスタンダードを演歌の歌詞に載せ、八代が歌えばすごいものになるのでは?と思わせる1曲。
日野皓正「blue smiles」
「スマイル」
ここでは、ライブで見せた奔放さというよりも、ややおとなしめなスマイルになっている。それだけに、チャーリー・チャップリンが作ったメロディの美しさが際立つ。ライブでは8バースや4バースで、大人しいミュージシャンをあおった日野だったが、実際まわりが急に活性化したのには脱帽。演奏のダイナミズムによって他のミュージシャンを引き込める力があり、そして一転メロディを大事に愛おしげに奏でることができるのも日野の最大の武器。